2010年2月20日土曜日

三国志1~8巻 ― 吉川英治

 映画「レッドクリフPart2」が上映され、何かと話題になった三国志である。

 三国志は昔、横山光輝の漫画版で読んだことがあった。しかし、それはかなり昔の話なので、もはやどういう結末だったのか良く覚えていない。そして、そのまま放っておいたのだけれど、最近、「ビジネスマンは三国志や司馬遼太郎を読んでいる人が多いので、読んでおけば何かと話のタネにもなるし、いい」という話を聞いたことをきっかけに読んでみた。

 調べてみてわかったのが、三国志の原書には歴史書と、その歴史書に面白みを加えた物語の2種類があるということだ。歴史書は「三国志」といい、物語は「三国演義(三国志通俗演義)」という。

 日本でも多くの作家が三国志を書いているけど、その中でも群を抜いて面白いと言われているのが吉川英治の三国志である。それは、実際の三国志にさらに吉川ならではのアレンジを加えているためであるらしい。そのため、他の作家が書いたものとは大きく異なっており、「吉川英治のは面白いのに、なんであなたのはつまらないのか。」という苦情が寄せられるほどだという。裏を返せばそれだけ面白いということなのだから、最初に読むなら吉川英治で間違いないだろう。
 また、吉川英治版「三国志」は、横山光輝版漫画「三国志」が原作として取り上げているため、漫画を読んだ人には読みやすい内容になっている。

 さて、三国志を読んでみて思ったことは、歴史小説というのは果たして面白いのか?ということである。原作よりも面白みが増すようにアレンジが加えられているというだけあって、それなりに面白いのだけど、8巻ともなるといささか長い。この長さゆえ、話がパターン化してしまうのだ。最初の方は劉備が旅立ち、関羽・張飛を仲間とするなど、ストーリー展開が面白いのだけど、やがて仲間集めも一段落し、国対国の攻め合いになっていくと、策を弄する→攻める→戦う→勝敗が決する、といったことの繰り返しになってしまう。史実に基づいているといえばそれまでなのだけど。

 その中でも楽しませてくれるのが魅力ある武将の逸話である。豪傑は豪傑として、せこい奴はせこく描かれており、そのキャラクターのふり幅が大きいため面白い。こういうときは大げさに表現するのがいいと原作者も思ったのだろうか。
 また、原書をそのまま訳しているという描写も面白い。「血の涙を流して悲しん」だり、「憤死」したり、「絶望のあまり昏倒」したり、「悲嘆して元気がなくなり病死」したりと、現実であれば、あまりにも精神的に脆い人たちの集まりではないか。注によれば、これは実際にそうであるということではなく、それくらいに衝撃を受けた、ということを伝えるための表現方法らしい。さらに、占星術がまことしやかに信じられており、星が落ちたら誰かの寿命が潰えたことを意味しており、それを根拠に攻め入ったりする。

 人物の魅力として劉備の仁徳について言われているけど、どちらかというとお坊ちゃん的な甘さが残る印象を受けた。また、劉備のどこがすばらしかったのかという点はあまり語られておらず、なぜみんなが劉備を慕って集まったのかの理由が弱い気がした。
 腕力もなければ知力もない。政治力もそれほどないけど、理想は持っている。という人なんて、結構いるんじゃないだろうか。

 それよりも関羽の仁義の厚さ、張飛の超人的な強さと精神の弱さ、曹操の狡猾さ・臨機応変さなど、周りを固めるキャストの方が魅力的である。そんな中でも孔明である。

 途中から劉備は、自分の仲間には智略に富む者がいないことを問題視し、人材を探すことに時間を費やす。そして、有名な三顧の礼を経て、ようやく孔明という最高の軍師を得るに至る。孔明獲得以後、劉備は何かにつけて孔明の助言を得ようとする。戦略を立てるのも、次に何をするのかも、全て孔明に任せるようになるのだ。

 では、劉備って何なの?である。そもそも魏・呉・蜀の三国を相対させて、各国の均衡を保たせるという構想自体、孔明のものだ。劉備にあるのは漢朝の復興のみである。

「漢朝の復興したいんだけど、後は考えてくれる?」という丸投げ状態だ。

 孔明はその智略や冷静さにスポットライトが当てられ、人間味という点はあまり感じられない。ただ、立てた作戦がすべからくうまくいく、ということのみで、その凄みが感じられるのである。それが他の英雄と違って、逆に印象が薄く感じてしまう気がした(物語後半ではほぼ彼の独壇場ではあるのだが)。

 三国志は歴史書であるため、劉備や孔明が亡くなった後も続いていく。ところが、孔明亡き後、魅力的なカリスマが登場せずに小競り合いが続くため、急激に話としてつまらなくなるのだそうだ。そこで、本書でも孔明の没後は、ダイジェスト版といった形で、歴史を年表のように追うだけにとどめられている。

 読後に感じたのは、この長い話を読みきったという達成感である。そして、死というのは都合よく待ってくれたりはしないということだろうか。