わたしの隣の図書館司書、K氏から借りた本である。
ハヤカワ文庫を読むのは久しぶりである。中学、高校時代にはハヤカワミステリやSFを読み漁ったので、懐かしい感じがする。
K氏も滅多に海外のSFなどは読まないという。いわく、翻訳が正確になされているわけではなさそうなので、手が伸びないのだそうだ。
この本をなぜ読もうとしたのか、そのきっかけは聞かなかったが、K氏をして、「いつまでも読んでいたい本だった」と言わしめた。
期待できる本といいたいところだが、わたしは、この評価、感覚が、わたしの読後感とマッチするかどうか、それの方が気になった。
火星年代記は、26の短編からなる本で、時間を追ってかかれているので、歴史を追っているように読むことができる。それは地球から火星への移民、栄枯盛衰を描いたものなのだが宇宙を舞台にすることによって、社会を風刺した内容にもなっている。主人公といえる人物はおらず、あえていえば火星が主人公である。火星がどうなったのか、という歴史を追っていくのである。
この話、結構スラスラと読める。短編の集まりであることも関係している。一話が1ページで終わることすらあるのだ。
調べてみると、この本は火星をテーマにした本の中でも最高傑作の誉れが高い。
わたしはそこまでの高評価ではなかったのだが、それでもこの本が書かれた当時に読んでいたとするならば、やはり高評価を下したのかもしれない。時代とはそういうものである。
本作品が発表され、感銘を受けた人が様々な手法で、この本のエスプリをいただく。そして、それを基にして別のストーリーが語られる。それらを先に読んだわれわれは、原典ともいえる火星年代記を読んだとしても、それほどの感銘を受けなくなっている・・・。それはそれで残念なことであるが、逆にすばらしいことでもある。「それは使い古された手法だ」と思えば思うほど、本書が名著であることを示すことになる。
つまり、あまりSFを読まないK氏と、使い古された内容だと感じたわたしの感覚は、やはり近かったといえるのではないだろうか。