2010年2月17日水曜日

風が強く吹いている ― 三浦しをん

 わたしは漫画をよく読んでいた。しかし、漫画というのは単行本を買って読むもの、というイメージがあったため、漫画を読んでいるとどんどん部屋が狭くなっていってしまう。そこで、ある日、漫画を全部売ることにした。そして、その後漫画を読むのは雑誌だけにすることにした。雑誌は「捨ててもいい」というイメージがあるためだ。
 しかし、漫画雑誌も沢山ある。それらを一通り読んでみて、一番読みやすそうなヤングジャンプにした。

 そのヤングジャンプに連載されたのが「風が強く吹いている」だった。まぁまぁ面白いなぁと思っていたらそのうち別冊の月刊ヤングジャンプに連載が移ってしまい、結局終わりまで読むことはなかった。

 それからしばらくして付き合っている人が読んでいる本が、同じ題名の本であるのを知り、内容をかいつまんで話してみると、どうやら原作らしいということがわかり、借してもらい、読んでみることにした。

 読中・読後、終始一貫して青春、である。素人同然の10人の大学生がトレーニングを行い箱根駅伝を目指す、というストーリー。

 650ページに及ぶ長編であるが、読み辛い・読み進めにくい、と感じることはなく、とにかくスラスラと読めてしまう。箱根駅伝のルール、コースの状況、練習方法など、本書の執筆にあたりしっかりとした取材を行っていることを裏付ける解説に、十人十色の人間模様が絡んでくる。

 主人公の走(カケル)は、足の怪我により第一線を退いていた清瀬にスカウトされ、竹青荘に住むことになる。そして、ある日、そこに住む十人は、何のために格安のアパートに住まわせてもらっているのかを知ることとなる。
 話の始まりを始め、ご都合主義が散見される内容ではあるけれど、全体を通して感じる爽やかな空気がそれらを吹き消してくれる。
 十人にはそれぞれの抱える問題があり、それらの問題を仲間との係わり合いや走ることを通じて、それぞれの中で、ある者は折り合いをつけ、ある者は消化していく。

 走るという行為は自分との戦いであることが他のどんなスポーツよりも実感できる。わたしの会社の後輩が、最近太りすぎだと検診で言われ、走っていると言っていた。そこでまじまじと彼の顔を見てみたら、なるほど以前よりも痩せている。精悍というほうがいいのだろうか。何も道具を必要としないから、とりあえず走るようになった、と彼は言っていた。
 それくらい、走ることは簡単であり、そこにあるのはひたすらに走り続けるという行為だけである。必要なのは自分のやる気、それだけだ。もちろん何かの記録に挑戦するとか、あの人よりも速く走りたいという目標が存在することもあるかもしれない。それでも、簡単に始められることは簡単にやめられるということでもある。続けるという行為は自分の意思だけがなしうることで、誰かと協力してかちとるものでもなく、誰かのためにやることでもない。そしてひたすら孤独である。
 スポーツが好きな人には、団体で協力して勝利を得る球技などのスポーツを好む人と、マラソンなどひたすら自分との戦いをすることを好む人がいる。団体競技を好む友人は、マラソンのような単調で孤独な戦いを好まないと言った。
 ランニングは、球技のように知らないうちに時間が過ぎてしまうようなものではなく、声を発することもなく黙々とゴールを目指して一秒でも早くかけるだけ。まさに時間との戦いであり、体力との戦いでもある。
 球技であればいいショットを打てたとか、点数が入ったとか、相手の攻撃を凌いだというような「今のはよかった」と自覚できる瞬間があるが、走っている間に、何か爽快な気分を得られるような明確な「これ」といったものもない。
 じゃあなぜ走るのか。その疑問に対する答えが本書にちょっとだけ書かれているような気がした。