2010年2月21日日曜日

誘拐 ― 本田靖春

 「戦後最大の誘拐事件」と言われた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の顛末について記したル本田靖春のポルタージュ。まず読んで感じたのは、ノンフィクションであるがゆえに一切の無駄がなく、淡々と成り行きや人物の生い立ちなどが語られていく様子である。フィクションの小説であれば、「ここまで微細に書く必要があるのか、このサイドストーリーは流れの中で意味を持っているのか」と考えてしまう部分がある場合がある。それが冗長に感じられ、ただページ稼ぎのためにつけた文章ではないのかという余計な猜疑心を生んでしまう。それがない本書はすらすらと読み進められてしまう。

 「吉展ちゃん誘拐殺人事件」について、私は殆ど知らなかった。マスコミは、誘拐された吉展ちゃんの安全を第一に考えて、初めて報道協定を結び、事件が展開を見せるまで報道を控えた。また、この事件をきっかけにこの種の事件が増えたために、1964年に刑法225条の2(身代金目当ての略取・誘拐は無期または3年以上の懲役)が規定されるなど、様々な影響を各方面に与えた事件である。

 犯人と目される男の生い立ち、事件の発生と展開、一進一退の捜査、といった内容が徐々に展開していく様子を読んでいて、この事件は解決しなかった事件なんだと思っていた。しかし、諦めかけた事件解決に最後のチャンスとして集められた新しい捜査チームが、もう一度理詰めで捜査をして犯人を追い詰めていく様は、執念の一言につきる。信念を持って決して諦めず、冷静さを忘れない、その行動力が結果に結びつく。そういうことだと思った。

 もう一つ、犯人の側からの背景も考えさせられる。犯人が誘拐を思いついたきっかけ、犯行の対象をどのように選んだのか、犯人の生い立ち。といったこと全てが、この事件の悲しさを物語る。もちろん犯罪は許されるべきことではないし、幾ら犯罪に走る背景があったとはいえ、このような残虐な行為に至ったことを正当化できるものではない。それでも貧困で臆病であるが故に犯罪を思いつき重い罪を平気で犯してしまうという構図、これは今の時代においても同じことではないか。アフリカ諸国の貧困が招く無法も、日本におけるワーキングプアによる犯罪も何ら変わりはない。なぜこのようなことが起こってしまうのか、それを考えることが、何十年も経った今、本書を読んだ私にできることではないか。そして、本書を綴った作者の願いではないか。

 不正ばかりが大々的に報道されるようになってしまった昨今の警察の信頼感の低下は、無秩序への道を歩み始めた兆しを日本が見せているのではないかと思ってしまう。本書の悪を許さない徹底した姿勢こそが本来の警官の姿である。一般人と警察官の境目が曖昧になっている今の時代、もう一度本書を読んで本来の姿をイメージしてみてはどうだろうか、と思ってしまう。

 まるで小説であるかのような細かな描写、会話、行動。事実だからこその臨場感。そしてそれを実現させた完璧なまでの取材がこの本を興味深いものにしている。事件を風化させないためにも、本書を読むことをお薦めしたい。

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