2011年4月9日土曜日

陽気なギャングが地球を回す ― 伊坂幸太郎

 「陽気なギャングが地球を回す」という本が、とっても売れている、という話は聞こえてきていた。わたしは元来小説を読むのが大好きなのだが、近年では自分で買ってまで読むことはなくなっていた。小説は、一回読んでしまうとそれまでのような気がして、蔵書が棚に増えていくと部屋が狭くなってしまうので、あまり買わないようにしているという理由が大きいかもしれない。それが理由で本を読まなくなる、というのでは本末転倒かもしれないが。
 しかし、わたしのパートナーはそういうことは関係なしに、ふらっと本屋に立ち寄って、興味を持った本を買ってくる。この本を買って帰ってきたときは、そういう本が好きそうには見えなかったので意外だったが、売れている本がある、というのなら読まない手はない。

伏線が一回でわかる読みやすさ

 とにかく、読みやすい、というのが第一印象だ。非常にスピーディーに話が進んでいくので、イラつくことがない。読めば読んだだけ話が進んでいくという感じ。それだけに伏線の自己主張が目立つ。「ここは伏線ですよ」「このエピソードは後で使われます」とわかる。分かること自体は問題がないのかもしれない。伏線は覚えていなくては、ああ、あのエピソードがここで生きるのか、と思えないからだ。多くの小説は、分かりづらい感じでちらっと伏線をはっている。だから、一回読んだだけでは伏線とは気づかないことが多い。繰り返し読むことで、あ、ここにあの伏線があったのか、と気づくことになる。
 わたしは同じ小説を2度読むことは滅多にないので、最初からこの部分が伏線になりそうだな、と気づかなければ、伏線に気づくことはなく、その小説に関する印象が完成されることになる。本書では、伏線が一度読んだだけでわかるので、伏線がはってあって、ここで生きてくるのだな、というスッキリ感が味わえる。振り返ってみると、余計な話など、一つも含まれていないことがわかる。すべての話が必ずどこかでつながっている。もちろん計算によるものなのだろうけど、こういう小説はどうやって書くのだろう。

 もし、わたしが、うまい具合に伏線をつかった小説を書こうと思ったら、まず、伏線も何もないストーリーを考える。その結末には、少し荒唐無稽でご都合主義なまとめ方をしたものを用意する。そして、その強引な結末を、読者にうまいと思わせるために、最初の方で関係なさそうな話を伏線として後から入れてみる。そうすれば、強引な結末は、最初から用意されていた話として、強引ではなくなる。大体はこんな感じで書くんだろう。

 伊坂幸太郎がこのように書いているかは知らないけど、本書の読みやすさは、一回でわかるところにある。だから、特に本をあまり読まない人にお薦めである。本をよく読む人にとっては、物足りないかもしれない。
 わたしのパートナーは、続編にあたる「陽気なギャングの日常と襲撃」も買ってきていた。一冊だけでその作家を批評するのも何なので、もう一冊読んでみることにする。

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